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※感染防止策を講じ、撮影時のみマスクを外していただきました。

「種子法廃止等に関する違憲確認訴訟」では、原告は「食料への権利」が憲法上保障されるとしたうえで、主要農作物種子法(以下、種子法)廃止の違憲性を問い、原告の憲法上の地位確認を求めています。この訴えの論拠を明確にするため、昨年10月の第5回口頭弁論期日では、憲法学者の土屋仁美さんによる意見書を提出しました。土屋さんに、意見書の趣旨を伺います。

「食料への権利」の位置づけと種子法廃止による「後退措置」

 「食料への権利」は、国内的にも、国際的にも、生命、健康、文化に関わる人権として捉えられ、国家による保障が求められているものです。国際人権法で「十分な食料への権利」は、すべての人が共有し、すべての権利を享受するために重要な人権として認められており、「世界人権宣言」や「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(A規約)」などの国際条約にも明記されています。当然、こうした条約を批准している日本にも何らかの義務があると言えるはずです。

 日本国憲法には「食料」という言葉自体はありませんが、生存権を定めた憲法25条第2項に「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあり、「すべての生活部面」のなかに「食」が入ることは疑いがないと考えられています。

 また、国際条約の定める「十分な食料への権利」は、量や質、価格も含めた食料への適切なアクセスが守られることを指していますが、日本の法律にも「食料・農業・農村基本法」や「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」などに、同様のことが書かれています。

 もう一つ大事なのが、A規約が定める「十分な食料への権利」では、「小規模農家にとって不可欠な既存のサービスを撤廃すること」など、現在の履行レベルを悪化させるような意図的措置は「後退措置」として禁止されていることです。少なくとも、このような措置を行う際には、国家がすべての選択肢を検討して影響を評価することが必要とされています。日本国憲法でも、学者によって説が分かれるところですが、生存権の自由権的な側面から、いったん具体化された水準を低下・後退させる際には、それを正当化する理由が必要であると考えます。

 もともと種子法は食糧増産や安定供給のために作られました。優良な種子を生産するには特別な技術や管理が必要であり、農家が行うのは大変だから国がやりましょう、という背景があったわけです。ですから、その種子法を廃止するのは「後退措置」にあたる可能性があります。

 また、もし種子法廃止で米の値段が上がれば、消費者に返ってくるでしょう。食品の安全性という面でも影響が考えられますが、現状の法制度において種子法に代わり消費者の観点から品質を保証する制度は、事前規制、事後救済ともに十分ではありません。種子法廃止による「食料への権利」に対する影響がないとは言えないのです。

審議と立法のプロセスにおいて公平な討議が行われていない

 制度後退や経済規制への判断には、立法府での裁量がある程度認められるという意見がありますが、国が「正当だ」といえば、すべて正しいと言えるのでしょうか。立法プロセスにおいて、国会に立法裁量が認められるのは、審議過程において必要な情報や資料の分析、検討や議論を行い、適正な評価と判断をする機能をそなえた機関だからです。

 しかし、種子法廃止の過程では、ビジネスの観点から私的利益の確保が重視され、種子法が担ってきた食料の安定供給や農業の多面的機能などは十分に考慮されていません。消費者の利益に基づく議論もほとんど見られませんでした。

 さらに問題なのは、国会審議中に国会議員が資料を要求したにもかかわらず提出されなかったことです。種子法が「民間企業の参入を阻害している」という具体的な証拠さえ示されませんでした。つまり今回の種子法廃止の国会における審議には、行政による不適切な対応があったと考えられます。

 種子法廃止は、国内的にも、国際的にも認められている人権である「食料への権利」の侵害にあたるばかりではなく、その審議過程においても、利害関係を有するすべての集団が公平に討議のプロセスに参加していたとは言い難い状況です。裁判所には種子法廃止にかかる審議の決定とプロセスにおける違憲性についても適切に審査を行い、司法判断してほしいと思います。

プロフィール

憲法学者
土屋仁美(つちや・ひとみ)

金沢星稜大学経済学部准教授。専門は憲法。食品の安全性確保について、EUの食品安全分野の予防原則に焦点を当て、営業の自由、市場メカニズムとの関係、政策決定過程における科学的知見の役割や位置づけについて考察している。

Text: Mie Nakamura