食料への権利の保障と、主要農作物種子法廃止の違憲無効を訴えた裁判の第一審判決が棄却・却下となりました。その中で、原告適格(確認の利益)があると唯一認められたのが、種子農家の菊地富夫さんです。種子法廃止から5年経った今、控訴に向けて種子農家としての思いを聞きました。
「農業がないがしろにされている」国が種子法を“捨てた”ことの意味
私は、山形県西置賜郡白鷹町で種子農家をしています。ここは種子法ができたときに真っ先に種子組合をつくった地域。親父の代だった65年前に県から採種ほ場として指定され、私が45年ほど前に継いで、今は息子もいっしょにやっています。
私の代からは牛を飼い始め、田んぼから出た稲わらやもみ殻を利用して、牛ふんを堆肥として使う循環型農業をしてきました。でも、これは小さな農家だからできること。大規模経営の民間事業者が参入してきたら、こうした生産体系も維持できなくなるでしょう。
私がこの裁判の原告になった理由のひとつに、「この国では農業がないがしろにされているのではないか」という思いがありました。種子法廃止が決まったとき、自分の仕事を否定された気がしました。
種子法は、「国が農業をどう思っているのか」を表す象徴のようなもの。日本は食料自給率が低いですが、それでもまだ主食であるコメや大豆は国がちゃんと守るんだという姿勢を表していたのが、種子法ではないでしょうか。その法律を“捨てて”しまったことの意味は非常に大きい。
農業は多面的な意義を持つものです。それを経済効率性だけで考える国の姿勢からは、将来どうするつもりなのかが見えません。今、どんどんと大規模農家や法人格を持つ農家にしか補助金が出ない仕組みになっていて、小さい農家は生き延びられなくなってきています。しかし、農家が減れば地域の文化や資源も失われるのです。
誇りを持って種子を守ってきた。司法に「食料への権利」を問う
私は種子農家として、種子を守る責任と重要性を感じて仕事をしてきました。親父がよく言っていたのは、自分たちが作った種子から500倍ほどの量のコメができるのだから、万が一おかしなものが混ざったら売った種子の500倍の責任が発生するんだぞ、ということでした。つまり「絶対に大きな間違いがあってはならない」と教わったのです。
ほ場での検査が近づくと、地域の種子農家たちは朝5時過ぎから田んぼに出て、腰を低くかがめて異株がないかを何日もかけて確認します。種子組合のセンターでは、品種の違う種もみを集めるごとに、3日間かけて機械を徹底的に掃除します。それくらい丁寧な作業が必要なんです。
少し前まで農家は自分たちで種子を取っていましたが、冷害や不作の年には自家採種ができないので種子の需要が高まりました。そういう年にこそ、きちんと安定的に種子を作ることが、種子農家にとって自信であり、誇りなんですよね。大変な時期に種子を提供して農家の方たちに喜ばれるという経験を何回もしてきました。こうして種子が守られてきたのは、種子法という公的仕組みと、各地域での顔の見える信頼関係があったことが大きい。それを同じように営利目的の民間企業に任せることができるでしょうか。
一審で、一般農家の館野廣幸さんや消費者の野々山理恵子さんの「確認の利益」が認められなかったことは、私はおかしいと思っています。「食料への権利」は人権であって、それが国によって守られるのは当然のことでしょう。
山形県は種子条例ができましたが、第一審の判決でも認められたように、法律とは違う。知事が変わるなどすれば、いつどうなるかわからない不安があります。ここ数年、コロナ禍やウクライナ問題などの世界情勢によって、食料品や肥料などが高騰して、命にかかわるものを国内できちんと自給することの大切さを実感しています。種子を守ることは、国民の命を守ることと同じです。
裁判で勝つことも大事ですが、それと同じくらい「おかしいことにおかしいと言い続ける」ことも大切です。こうした裁判をすることで、この国の姿勢はおかしいと気づく人が一人でも増えてほしい。そういう意味では、この裁判は種をまくような作業かもしれないと感じています。
控訴審では、種子法に基づく食料への権利をしっかり認めてほしい。そして、命の源である農業の意義をもう一度見つめ直してほしい。そのことを司法の場で問いたいと思います。
プロフィール
菊地富夫(きくち・とみお)
山形県西置賜郡白鷹町で種子農家を営む。水稲採種ほ場を約6ヘクタール所有。父親の代であった65年前に、山形県から採種ほ場として指定(指定種子生産ほ場)。ほ場の肥料のために牛約40頭を飼育し、牛の飼料米用の農地として約2ヘクタールを所有。1976年頃に父親より受け継ぎ、現在は息子と3代にわたって種子農家を続けている。
Text: Mie Nakamura